看護師の起源・発展の歴史を知る
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この世の中でなくてはならない職業である看護師。
看護という仕事は、人間の生活と健康上の必要性や、科学技術の進歩とそれをとりまく環境から、人類の歴史と結びついていました。
R・デュメスニル、F・ポネ=ロワの『名医列伝』(1947年)には「肉体の苦しみはこの世と同じく古くからあるが、それを癒したいという欲求もまた、その苦しみと同じくらい古くからあった」と記しています。
看護師の仕事はどのように生まれ、発展してきたのでしょうか?
このページでは世界の視点から、看護師の歴史について書いていきます。
※日本における看護師の歴史に関しては、看護師の歴史【日本編】をご参照ください。
目次
※ページ内の該当箇所にジャンプします。
・看護師の起源(古代から近世まで)
・看護職の誕生(19世紀〜)とナイチンゲールの功績
・歴史上の人物【世界編】
看護師の起源(古代から近世まで)
古代
最も初期の看護師と考えられているのは、シャーマンです。
古代社会において、病気は悪霊により引き起こされると広く信じられており、恐れられていました。
そのような病気に対し、呪術医としてシャーマンは頼られていました。
また、看護の発展にはキリスト教の影響を抜きには語れません。
古代ローマ帝国において、「自己犠牲により他社のために尽くす」というキリスト教の考え方は病人の看護が徳行になりました。
但し、この時代の資料において、「看護」という主題はまだ表れていません。
中世
宗教界において、看護師が現れます。
ヨーロッパ各地の大修道院では、聖職者が世間から隔絶した生活を営んでいました。
この営みの中で聖職を志す女性は、修道女になる過程で看護を学び、病院が作られるようになります。
生命を賭して危険を承知で戦場のの渦中に入り、負傷者や疫病の患者い寄り添う姿は、英雄視され、聖人と深いつながりがありました。
特に十字軍の戦い(11世紀〜13世紀)における騎士修道会は最も英雄視されており、当時は看護は男性が中心で、女性は男性の従属的存在でした。
近世
16世紀のヨーロッパの「宗教改革」以降、カトリック教国では新しい看護修道会が現れ、看護の気運が急速に拡大しました。
中でも17世紀のフランスで起こった愛徳修道会は最も重要であり、看護に献身しました。
また、イギリス、フランス、スペイン、ポルトガルなどの海洋国家は世界各地に植民を広げ、カナダやアメリカなど各地に教化の一環として病院を建てました。
但し、この頃の看護の施術は師から弟子へ実体験として伝えられ、口伝えによる場当たり的な発達にならざるをえませんでした。
看護職の誕生(19世紀〜)とナイチンゲールの功績
改革と組織的拠点の誕生
19世紀初頭になるとプロテスタント諸国では病人の看護が見過ごされているとの認識が生まれ、改革の必要を訴える声が出てきます。
これらの声を裕福な博愛主義者や政治家たちがくみ取り、キリスト教の信仰と貧者を救済したいとの気持ちが大きく働き、改革が進みます。
プロテスタント諸国における初期の組織的な看護拠点は、ドイツと北欧諸国の修道女会が立ち上げました。
後、イギリスやアメリカでも同様の動きが加速します。
ナイチンゲールの活躍と功績
19世紀に入ると革命やナポレオン戦争が起こり、武器の改良も著しく、戦争は強力な破壊力を持つ武器により、多くの負傷者が出るようになります。
これらの負傷者を手当をしたのは、看護兵であり、軍隊に従う女性たちでした。しかしながら、その実態としては、組織的な従軍看護からは程遠かったのです。
そのような状況の中、19世紀半ばのクリミア戦争におけるフローレンス・ナイチンゲール(1820年〜1910年)の活躍は、看護の進歩に画期的な影響力をもたらしました。
この戦争において、ナイチンゲール一行が派遣され、初めて「看護教育を受けた看護師による看護」が行われることになったのです。
彼女は、高い教養と衛生についての知識、病気から健康回復に至るための方法、看護組織の管理の方法、誠実さと意志の強さ、決断力などの彼女の人格、それらすべてをかけて、敵味方の区別なく献身的な看護活動を行ったのです。
イギリスに帰国後は、クリミアでの活動が人々にみとめられ、ナイチンゲール基金が集まりました。
この基金をもとに、1860年には宗教と関係のない初めての看護学校としてナイチンゲール看護学校が設立されています。
ナイチンゲールは「看護師は道徳的に優れているべき」と考え、「教養ある淑女向きの職業である」と訴え、現在の看護師の礎を築いています。
ちなみに、アメリカの南北戦争(1861〜1865年)においても、数百名の看護修道女が重要な役割を果たし、さらに有志の看護団が設立されています。
フローレンス・ナイチンゲールの写真
※ウィキペディアより
赤十字の誕生
スイスの社会活動家アンリ・デュナンは負傷者を手当てする中立的救護機関の必要性を各国に訴え、1863年に国際赤十字員会(ICRC)が設立されます。
ヨーロッパ諸国で「赤十字」の看護師は身近な存在となり、「赤十字」は看護教育を行うようになりました。
ちなみに、現在、赤十字の本部はスイスのジュネーブにあり、約90カ国で13,000人以上の職員が活動しています。
「国際赤十字員会(ICRC)」のロゴ(※国際赤十字委員会の公式HPより)
国際看護師協会の設立
1899年には英国、アメリカ合衆国、ドイツにより「国際看護師協会(ICN)」が設立されています。
協会では、多数の国の看護師が協力することを決め、職業としての看護の発展に大きな影響を与えることになりました。
当時、まだ新しかった看護という職業は世界共通であると主張し、資格認定制度の確立と高水準の看護教育を維持することを目的としています。
ちなみに資格認定制度は1901年に法制化したニュージーランドが初めての国であると言われています。
現在は、130か国以上が加盟するまでの組織となっています。
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歴史上の人物【世界編】
ここでは、看護師の歴史を語るうえで重要な人物をピックアップしてみました。
看護の発展に貢献して来た偉大なる先輩の方々です。
聖ファビオラ(〜399年)
信仰心の厚いファビオラは自分の財産で世界で初めてのキリスト教病院を設立し、病院や貧者を助け、看護活動の発展に貢献しました。
また、ベツヘレムのキリスト教の旅人宿泊所で看護し、イタリアに巡礼者向け宿泊所を作っています。
聖エリザベート(1207年〜1231年)
ハンガリーの女王。貴族という身分であるにもかかわらず、いくつも病院を建て、自らも病人の手当をして看護に従事しました。
夫の死去後、聖フランシスコ会に入会し修道女に。マールブルクにフランシスコ会の病院を設立。
体が丈夫ではありませんでしたが、看護活動に貢献。24歳の若さで没しました。聖女として知られています。
聖カテリーナ(1347年〜1380年)
イタリア・シエナの染物屋の25人兄妹の末っ子として生まれたカテリーナは、6歳の時に夢を見て一生を神にささげる決心をします。
10代の時にドミニコ会に入り、病人や貧者の看護に献身。彼らの世話のため、家々や監獄へと出向きました。
カテリーナの看護で回復した人も大勢おり、多くの重病人を看護しても無事だったことから、超人的な力が有名になりました。
カルミス・デ・レリス(1550年〜1614年)
ルネッサンス期の男性看護師として代表的な人物。イタリア南部ブッキアーニコ生まれ。
若くしてベニス軍に入隊。戦闘で負傷した傷の治療を受けたことが、看護の初めての出会いでした。後に病院の職員となり院長までになります。
治癒の見込みのない負傷者や伝染病患者の看護を使命とし、「カミリアンズ」と呼ばれるように。
数多くの患者を死の淵から救う奇跡を行ったとして有名になり、死後の1746年に、サンピエトロ大聖堂の聖人の列に加えられています。
ルイーズ・ド・マリヤック(1591年〜1660年)
フランスのカトリック教会の修道女。聖ビンセンシオ・ア・パウロの愛徳姉妹会の共同創始者。
ルイーズは夫の死後、未亡人となり、病人の看護に身を投じることに。
1625年に司祭のヴァンサン・ド・ポールに出会い、1633年に2人は「愛徳婦人会」から与えられた基金を使い、「愛徳修道会」と名付けた看護師団体を設立。
ルイーズは貧しい田舎の女性達を自宅に集め、看護の仕方を指導。教育の内容が向上し、この運動は急速に拡大しました。
1660年にルイーズが没した時は、フランスに40か所の看護所が出来ており、この看護活動はフランス各地に拡大し、病院、刑務所、孤児院などでも看護をしました。
エリザベス・フライ(1780年〜1845年)
看護の改革者の中で最も有名な1人。1840年にイギリス初の看護学校を創立しました。
イングランドのノリッジの裕福な銀行家に家に生まれたフライは18歳の頃から近隣の貧しい人達の健康や福祉に強い関心を持つようになり、病人の世話や食料、衣服を持って行ったりするように。
結婚後、ロンドンに移った後、ニューゲート刑務所の女囚達の悲惨な状況を目の当たりにし、改革に奔走。
1823年にロバート・ビール内務大臣に司法制度改革を訴え、1840年には看護学校を設立し、看護教育に乗り出します。
これらの仕事はナイチンゲールに大きな影響を与え、1845年にナイチンゲールはフライが育てた看護師達と共にクリミアに赴くことにつながっていきます。
ドロシー・パティソン(1832年〜1878年)
イングランド・ヨークシャー生まれの慈善家、看護婦。シスター・ドラの愛称で知られています。
1864年にコーザムの「クライストチャーチ英国教会修道会」に入会。1865年1月にウォールソールの医院に派遣されます。
独学で看護を学び、医院の看護師長になり、外科看護師としての優れた手腕と知識で有名になりました。
フローレンス・ナイチンゲール(1820年〜1910年)
「近代看護教育生みの親」といわれ、近代の最も有名な女性の一人でもあります。
ナイチンゲールは「看護師になりたい」と決意してから、現場に立つまでに15年かかったそうです。
そして、この15年間の間にナイチンゲールは多くの施設を見学し、統計学などを起用して学習し、独自の「看護観」を確立していきます。
クリミア戦争でのナイチンゲールの看護はその学習の結実であり、「クリミアの天使」とも呼ばれることになりました。
また、病院の改革、助産婦学校の創設をはじめ、公衆衛生看護事業にも影響を与えています。
著書『看護覚え書』には、「看護がなすべきこと、それは自然が患者に働きかけるに、最も良い状態に患者をおくことである」という記述があります。
メアリ・シーコール(1805年〜1881年)
ジャマイカ・キングストン出身の看護師。
1854年末に第2次クリミア派遣イギリス看護団に応募したが不採用になり、「肌の色のため」だと考えたメアリは、個人で看護師兼女医としてクリミアに赴きます。
そこで、病舎を開設し、カリブ海地方の薬草で赤痢を治療しました。
ドロシア・ディックス(1802年〜1887年)
アメリカ・メイン州ハンプデン生まれの社会活動家。
30代で精神病院の改革という重要な仕事に携わる。今までしっかりとした精神病院の整備が行われていなかったアメリカにおいて、州議会やアメリカ合衆国議会への精力的なロビー活動により、本格的な精神病院を多数設立しました。
また、南北戦争の時には、陸軍看護師の監督官に就任。
負傷者には北軍も南軍も関係なく、等しい看護をするように一貫して主張し、名を揚げることとなりました。
ウォルト・ホイットマン(1819年〜1892年)
アメリカ・ニューヨーク州ロングアイランドに生まれの詩人、随筆家、ジャーナリスト、ヒューマニスト。「自由詩の父」とも呼ばれています。
南北戦争の時に、ワシントンの北軍の病院で看護志願者として勤務。
弟のジョージが負傷し、無事な姿を見て、看護師を志願し、陸軍主計管室の臨時職員の仕事で生計を立てます。
後に『戦争の思い出』を執筆。恐ろしい戦争の傷跡と病気を目撃した体験を語りました。
クララ・バートン(1821年〜1912年)
アメリカ合衆国 マサチューセッツ州 オックスフォード生まれの看護師。アメリカ赤十字社の創立者として知られています。
教師だったバートンは南北戦争が始まると、看護師に志願。看護師長となり、激戦地に従軍し、負傷者の手当を行います。
1862年8月、ブルランの戦いの直後は、手桶しかない状況でもう一人の看護師2名で、3,000人の負傷兵を手当て。
さらに同年9月にはアンティータイムの戦いに赴き、外科手術を手伝います。
これらの活躍により、バートンは「戦場の天使」として知られるようになりました。
1870年にバートンは普仏戦争の戦場に赴き、ヨーロッパ滞在中に「国際赤十字委員会」の役割を知ることに。
帰国後、1881年に赤十字アメリカ支部を創設して、初代総裁を務めました。
ジェーン・ディラーノ(1862年〜1919年)
アメリカ合衆国 ニューヨーク州 モンツアー・フォールズ生まれの看護師。
アメリカ看護界の大物であり、アメリカの看護の発展に尽くした人物です。
1886年に看護資格を取り、ペンシルバニア大学病院の病院管理長を務めた後、アメリカ赤十字協会の会長、アメリカ看護師連盟の会長を歴任。
第1次世界大戦中に陸軍看護団とアメリカ赤十字看護社が緊密に連携して活動出来たのは、ディラーノの功績とされています。
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